翻訳はアスリートかもしれない
- Emi | Kenshiro Shiba Labo

- 2024年11月19日
- 読了時間: 2分
更新日:3月2日
翻訳は、瞬発力を問うアートなのかもしれない。
何をするわけでもない1日になるはずだった。
最近は、遅くまで時間を忘れて集中していたせいか、少し目が疲れている。
そう、またもや
浄瑠璃の翻訳を始めてしまったのだ。
別に締め切りがあるわけでもなく、
仕事でもない。
誰かに頼まれたわけでもない。
完全に趣味としてやっているだけ。
それなのに、昨日1日遠ざかっていただけで、
続きが知りたくてしかたがなかった。
私は今、
近松門左衛門の浄瑠璃の世界にいる。

「お笑いはアスリートだ」
北野武監督が新作映画の記者会見で言っていた言葉が頭に浮かぶ。
歳をとって瞬発力がなくなれば、
お笑いに関する感覚も鈍くなる。
たとえ0.01秒の遅れでも、そのわずかな違いを自分自身で感じてしまう。
それが、お笑いがアスリートだという理由らしい。
なるほど、浄瑠璃の翻訳も同じようなものかもしれない。
浄瑠璃の魅力を引き出すための瞬発力と感覚。
それらが研ぎ澄まされていないと、
言葉が生まれない。
最後に訳したのはもう何年前になるだろうか。
あのときは近松半二の作品を2作手がけたが、
今度は本家近松。
江戸と現代日本語をつなごう、と言葉を探せば、
ギギギっと頭の中で、軋んだ音が鳴る。
ブランクが、言葉を錆びつかせている。
とにかく、感覚を取り戻さなくてはいけない。
早く。
とは言っても、
近松らしいリズミカルな言葉選びや、
ひょっこり隠れている言葉遊びを見つけては、
ふっと笑いが込み上げてきて、つい一人で楽しんでしまう。
これだから、近松作品はおもしろい。
さらに、AIで挿絵を作って近松の世界であそぶ。
文章を書いては、AIに挿絵を作らせ、また言葉を直す。
よし、今日はなにもしない。
ゆっくり過ごそう。
朝、そう決めたはずなのに、
気がつけば手には浄瑠璃本が…。
いやいや、ダメだ。
オフの日らしい、1日にするのだ。
そっと、近松の世界から抜け出すと、
夫と犬と一緒に、河川敷へ向かった。



