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【虚実の境界線】人形浄瑠璃と江戸の犯科帳──“物語の罪”は、本当に罪だったのか?

  • 執筆者の写真: Emi
    Emi
  • 10月25日
  • 読了時間: 4分


「その者、鼻を削がれ、市中を引き回されたのち、…」

読んでいたページを、そっと閉じた。


鼻を削ぐ? えっ? 本当に?

——それが、江戸のリアルだった。





講談社現代新書の『江戸の犯罪録 長崎奉行「犯科帳」を読む』(松尾晋一著)は、200年、145冊もの記録をもとに、長崎という“江戸の国際都市”で起こった実際の事件と、その裁きを語った本だ。


長崎奉行所が残した犯科帳には、江戸のリアルが淡々と記されている。「誰が」「どこで」「何をして」「どう裁かれたか」が一文の情緒もなく記され、読む者の想像力を鋭く刺激する。


そこには、現代の私たちから見れば目を疑うような処罰が、日常のように並んでいる。


たとえば、抜荷(密輸)を恐れて自害した者は、死体を塩漬けにされ磔。心中に失敗した者は、女は死罪、男は遠島。障子を盗んだだけで死罪。

ーー盗み、密貿易、偽証、下女の妊娠、果ては人を騙して金を取った話まで。


ただそれだけのことで、鼻を削がれた人もいた。

市中を歩かされ、見せしめにされた者もいた。


そして、ふと、思ったのだ。


これって、人形浄瑠璃の世界ではどう描かれてたんだろう?



【人形たちの裁き】



江戸時代の人形浄瑠璃の舞台をモチーフにした、幻想的な水墨調のイラスト。黒い幕の中、舞台上には人形遣いの手元と三味線、そして奥にぼんやりと浮かぶ“裁き”の気配を描いている。
舞台の上にだけ許された、もうひとつの「裁き」──人形たちが語る、罪と美のあわいに揺れる物語。



何年か前、私はある仕事で人形浄瑠璃に関わる機会を得た。

現代語訳の台本を作るという、大きな責任を伴う作業だった。


そのときに読んだ『曽根崎心中』。

語りと三味線が、恋と死の美しさを謳い上げるあの場面。


「この世の名残、夜も名残…」

そう語られて、心中していったふたりに、私たちは涙を流す。


でも、犯科帳の中では、“心中未遂”であっても、ふたりとも“死罪”だったりする。


なぜ、こんなにも違うんだろう?

どうして、人形たちの世界では、罪が美しくなるのだろう?





江戸の“裁き”と、人形浄瑠璃の“見せ場”。

このふたつは、同じ時代を生きながら、まったく別の「罪と罰」を描いている。


今回は、その違いを眺めながら、

「物語は、なぜ罪を描くのか?」という問いに、そっと近づいてみたいと思う。


どうぞ、江戸の裏道へ。

人形たちの“裁き”の声に、耳を澄ませてください。






【心中の裁き、物語の美】



——なぜ罪は美しく語られるのか

「心中」は、罪である。

それは、江戸の法では明確だった。



本人たちが望んでいても、許されない。

——生きて捕らえられたなら、必ず処罰される。


男女ふたり、心をひとつにして死ぬ。

その行為を、奉行所は冷徹に「死罪」と記す。




けれど、舞台の上ではどうだろう。

三味線の音に乗って

太夫が語りはじめた瞬間、

私たちはふたりの死に、美しさを見てしまう。



「この世の名残、夜も名残」
「死にとうございます、あなたとならば」

そこには、理屈ではない情熱と、

生きてはいけぬ理由と、

生きたままの愛”がある。



犯科帳では、心中に失敗した女は“死罪”。だが浄瑠璃では、観客はその女に涙する。

人を殺した者が、舞台の上では“情けの人”として語られることすらある。






私が『曽根崎心中』を現代語訳していたとき、

ふたりが死にゆく場面を書きながら、

何度も思った。


——これは、ほんとうに「」なんだろうか?




もちろん、現実の世界では、

ふたりとも許されなかった。


奉行所の記録によれば、

心中未遂に終わった者には、

「女は死罪、男は遠島」という判決も少なくなかった。



どちらも、もう戻ってこられない。

物語の続きはない


でも、物語の中のふたりには、

最後に「美しさ」が残される。


それが「情死(じょうし)」という言葉の魔力なのかもしれない。

罪を、美に変える物語

それが、人形浄瑠璃の持つ力だ。





では、その「美」はどこから来るのか。


実は、当時の観客たちは、奉行所の記録をよく知っていた。

処罰の内容や、どこで捕まったか、

町人たちは耳で聞き、口で広め、

リアル”を知っていた。


だからこそ、舞台で描かれる「虚構の美」は、

現実の重さを抱えながら、観客の胸を打ったのだろう。




心中は罪でありながら、

舞台の上でだけ、許される。



それは「裁き」ではなく、

「理解」であり、

鎮魂」だったのかもしれない。




👘次回は——

奉行所が記した「女の罪」、そして舞台で演じられた「女の覚悟」について


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