
18歳、自衛官だった私の外出日記:熱田神宮と刀剣の思い出
- Emi
- 2024年11月16日
- 読了時間: 3分
更新日:2月20日
自衛隊時代の外出日と
熱田神宮
別に元自衛官だったからといって、刀が好きなわけではない。
そして、好きだからといって、決して詳しいわけでもない。好きと詳しいは別物なのだ。
私が自衛官だった18歳の頃、週に一度の外出日はたいてい一人で熱田神宮にいた。
こう書くと、友達のいない淋しいやつみたいだが、入隊したばかりで一番下っ端の私は「おひとりさま外出」しか選択肢がなかったのだから、仕方ない。それでも、熱田神宮以外にも外出の選択肢はあったわけだから、無理をしていたわけではない。
むしろ、私はその森が、無意識に感じていた息苦しさを解放してくれる場だったのだと思う。
宝物館での日本刀の展示
そんな熱田神宮には、小さいが珠玉の宝物館がある。
「熱田神宮前」で駅を降りると、鬱蒼とした森が見える。その中を、砂利道をサクサクと歩き、能楽堂を目指す途中にひっそりと建っているのが宝物館だ。
当時、展示内容は毎月変わっていたが、その半分以上は「刀剣」だった。
そこに並ぶのは、歴代の武将たちが奉納した重要文化財や国宝級の刀剣ばかり。私は別に刀が見たくて通っていたわけではない。ただ、この場所が好きだったし、宝物館はどこか秘密基地のような雰囲気があって気に入っていた。
宝物館に入ると自然と刀が目に入る。それだけのことだった。とはいえ、数百年の時を経た刀が、今なお輝きを放っている姿は、何度見ても飽きることがなかった。
刀たちは、まるで「はい、次。はい、次」とホイッスルで整列させられたかのように、隙間なく並んでいた。
展示ケースの上には、A4サイズくらいの紙に刀の名称が書かれているだけで、寸法や刀紋、地金についての説明はほとんどなかったように思う。
私は、遠くから全体を眺めたり、近くに寄って細部を見たりと、自由に楽しんでいた。他のお客さんに会うことは一度もなかったので、いつでも、いつまでも、一人占め。今思うと、とても贅沢な時間を過ごしていた。
名古屋に配属されていたのは、約半年間。
その間、最初の1か月を除いてずっと刀の展示が続いていたように思う。つまり、私は週に一度、熱田神宮で刀を見続けていたことになる。
「きれいだなぁ」「こんなに切れ味が良さそうなら、切られても時間差で痛みを感じるのでは?」とか、「ゾウリムシも真っ二つ、って噂は本当?」なんて、くだらないことを考えながら。
そして、月の最後には「もしこの中で1本だけもらえるとしたら、どの刀がいいか」と、勝手にお気に入りの刀を選ぶという遊びをしていた。
刀剣と先入観についての気づき
刀剣の展示がまったくない場所に帰ってくると、刀ってこんなに見る機会が少ないものなのかと驚いた。名古屋から四国に戻ったときは、本当に寂しかった。
そんな時、仕事先で偶然刀の企画展があることを知ったときの内心のウキウキ感は今でも覚えている。しかし、失礼ながら「えっ?刀ってこんなんだっけ?」と少しがっかりしてしまった。
よく考えれば、刀も人間と同じで、様々な種類があるのだ。
私が名古屋で見ていたのは「織田信長が奉納した刀」などの文化財認定されたモノばかりだったから、普通の刀を初めて見て違和感を持つのも無理はない。
あの頃の私は具体的に何が違うのかはわかってはいなかった。強いて言えば、殿様と一兵卒のように、どこかに「格の違い」があるのだろう、くらいに感じていた。恥ずかしながら、仕事で刀に携わるようになった今でも、実際のところよくわかっていないのだけれど。
刀も作り手によって違うし、奉納された刀と実戦で使われた刀ではその用途も異なる。
一振りずつ違うのは当たり前。
先入観で物事を決めつけるのは良くないと、改めて感じたのだった。
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