🐕【ケンシロウ日誌】ケンシロウと、江戸の犬
- Emi | Kenshiro Shiba Labo

- 3月15日
- 読了時間: 3分
更新日:4月30日
江戸の街は、犬の糞まみれだった。
——そんな一文に、思わず本を持つ手が止まった。
犬に“飼い主”という形が生まれたのは、明治の文明開化以降だという。
西洋式の関わり方が輸入されるまでは、日本では文化的に「放し飼い」がごく普通の光景だったらしい。
つまり、犬に特定の“飼い主”がいたわけではない。
地域やコミュニティ全体が、ゆるやかな飼い主のような存在だった。
江戸の町は木戸で区切られ、その決められた区域の中で、犬たちは役割を持ち、人と共に暮らしていた。
食べ物は、指定されたコーナーに、各家の女性が残飯を持ち寄る。
お米は含まれていない。
“おまんま”は、人間の食べ物なのだ。
犬たちは、魚のあら、骨、野菜クズなど、いわゆる残飯処理係。
生ゴミが放置されて腐敗することもなく、江戸の街はこうして清潔に保たれていた。
今、ケンシロウは魚もよく食べているし、野菜クズも与えている。
そして、家の中で放し飼い。
ちょっと、江戸時代の犬の環境に似ているかもしれない。

そう、その糞の話。
なぜこの江戸時代の犬の話を思い出したのかというと、
ケンシロウのうんちは、その日によって“水っぽい時”“硬い時”があるからだ。
基本は手作りご飯。
胃腸の調子はすこぶる良好でも、食べさせた物によって、ずいぶん変わってくる。
そこがドックフードを食べている犬とは違う。
多くの犬がそうであるように、ケンシロウも散歩はトイレタイムでもある。
当然、うんちは家に持ち帰る。
けれど、水っぽい時(決して下痢ではない)、地面にうっすら残ることがある。
「今日はあれを食べさせたから水分多そうだなぁ」と想像できる日は、
地面に落ちる前にキャッチする。
でも毎回、そう上手くうんちシートの中に落ちてくれるわけじゃない。
出し切っていないお尻で勢いよく立ち上がり、
うんちが飛んでくることだってある。
その時は、もう「ぎゃー!」である。
そんな日々の散歩途中、
地面に残ってしまった残骸を見て、ふと思い出したのだ。
この、江戸の町は犬の糞まみれだった、という話を。
江戸の町は、超絶リサイクル社会。
動物の糞も無駄にしない。
鶯の小さな糞は化粧品に。
オオカミの糞は狼煙の材料に。
馬、ラクダ、羊、牛——それぞれ特徴を活かして再利用される。
そんな中、唯一の例外が“犬の糞”。
決して再利用されることなく、そのまま放置。
もしくは、他のゴミと一緒に埋め立て地へ持って行かれたらしい。
(なぜ再利用されなかったのかは、ちょっとエグい理由があるので、ここでは触れない。)
犬の糞は、乾くとだんだん匂いも消え、そのうち自然に返る。
江戸の人にとっては、無理に手を加えず放置する。
それが、いちばん効率のよい処理方法だったのだろう。
江戸の人たちも、気をつけて歩いていても、
ふと、踏んでしまうことがあったのだろうか。
そのショックは、きっと時代を超える。
ケンシロウのうんちの残骸が残るアスファルトを見る。
はやく風化してくれ。
一刻もはやく。
誰かがうっかり踏まないように。
ましてや、ケンシロウが自分で踏まないように。
そして私は、犬の代わりに
街路樹の根元の土を少しいただいて、
そっと、ごまかすように振りかけた。
——江戸の人たちも、こんな気持ちで
その時を待っていたのかもしれない。
🐾 今日のケンシロウの1日
朝:ママがうんちを拾うのを、じっと見守るオレ
昼:場所、おぼえた
夕:……踏むなよ?



