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あそびフェスの舞台裏とパルクールの物語を書いた理由

  • 執筆者の写真: Emi
    Emi
  • 2024年12月31日
  • 読了時間: 4分

更新日:10月26日




🏞 あそびフェスという物語



パルクールと出会い、物語を書くようにイベントを作るということ



「パルクールの物語を書こう」と思ったのは、実は、イベントを企画する過程で生まれた衝動でした。

それが、2024年10月に開催したあそびフェスです。


私はアスリートではありません。

パルクールもスラックラインも、ストリートワークアウトも、プレイヤーとして知っているわけではない。


でも、その世界に触れたとき、どうしてもこの面白さや熱量を、もっと多くの人に伝えたいと思ったのです。


でも、どうやって?

パンフレット?チラシ?SNS?

それもいいけれど、どうせならもっと“物語として届ける方法”はないだろうか。




なぜパルクールの創始者を物語にしたのか



そのとき、たまたま出会ったのがパルクールの創始者ダビッド・ベルの話でした。

父・レイモンド・ベルの教えと、戦後フランスの時代背景、自由を求める若者たち。

身体ひとつで街を駆け抜けるあの姿は、スポーツというよりも「哲学」でした。


「だったら、偉人伝のように、誰でも読める物語にしてみたらどうか?」

そんな思いつきから書き始めたのが、今回の物語です。


もちろん、史実とは異なるフィクションも多く含まれています。

でも、パルクールが生まれた背景や想い、そこに込められた「生きる力」のようなものを少しでも感じてもらえたら、嬉しく思います。



フランスの街角を背景に、パルクールの原点を思わせる少年と仲間たちが躍動する絵本風イラスト。遊びの中に自由と挑戦を見つける、あそびフェスの世界観を表現。
あそびは、学びになる。自由は、動きになる。

あそびフェスという「舞台」



物語を書くとき、私はあそびフェスそのものを舞台にすることにしました。

実際に開催されたイベントを、少し地名をぼかしながら、導入として物語に溶け込ませる。

これは、浄瑠璃の時代物の技法を参考にしています。


例えば「織田春長」のように、本当の名前をずらして登場させる──

それを読む観客は、「あぁ、これはあの話ね」と察しながら楽しむのです。


物語の冒頭には、2024年10月のあそびフェスが登場します。

晴天のもとで実施されたパフォーマンスや、スタッフの試行錯誤、地域の人たちの関わり。

それらは、すべて事実です。

ただし、登場人物は虚構です。




創作と企画は似ている



イベントをつくるということと、物語を書くということ。

それは、違うようでいて、どこか似ています。


どちらも「限られた時間と空間に、誰かの心を動かす場を作ること」。

普段は文章を書く仕事もしていますが、物語となると、まったく別の筋肉を使うような感覚でした。

まるで異なるスポーツをやっているような、不思議な体験です。




おわりに:夢オチではなく、現実から始める



今回、物語を夢オチにしようかと最後まで迷いました。

でも、どうしても書きたかったのは、パルクールの原点ともいえる「父と子のエピソード」でした。

だから、物語は現実から始まり、時空を超えて、戦後のフランスへ向かいます。


イベントを作るときも、物語を書くときも、最初はただの小さなきっかけです。

でも、そのきっかけがあれば、どこまでも遠くに飛べる。


あそびフェスを通じて、「遊び」が「学び」や「挑戦」になる瞬間を、これからも形にしていきたいと思っています。


また、書きたくなったら、ぼちぼち続きを書いてみますね。

パルクールの物語も、あそびフェスも、まだまだ続いていきます。




備考


パルクールの創始者: ダビッド・ベル

パルクールはフランス発祥のスポーツであり、その創始者は ダビッド・ベル(David Belle) です。ダビッド・ベルは1973年にフランスで生まれ、軍人だった父から「効率的に動く技術」を教わったことがパルクールの原点となりました。元々は「移動術」や「障害物を乗り越える術」として発展し、1990年代にフランスの若者たちの間で広まりました。パルクールは 「無駄なく、速く、美しく移動する」 ことを重視し、体一つで障害物を乗り越えるアクロバティックな動きが特徴です。


彼の哲学は「どんな状況でも効率よく安全に移動すること」であり、スポーツを超えた 生き方のスタイル として世界中に影響を与えました。現在では、映画やCMでもパルクールの動きが頻繁に取り上げられ、その注目度は高まるばかりです。




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