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剣より祈りが強くなる夜——豊原国周の浮世絵が語る源平の終焉

  • 執筆者の写真: Emi
    Emi
  • 3月19日
  • 読了時間: 4分

更新日:10月6日




この武者絵を知ったのは偶然だった。

この絵の中に、自分の先祖が描かれている….という知り合いがいる。


船の中で戦っている源氏側ではなく、海の中から今にも源氏の武者を引き摺り込もうとして描かれている怨霊側。しかも、豊原国周と「大物浦の怨霊」には、ちゃんと「これは平家の〇〇」という人を書きました、と名前が描いてある。

友人は、「ほら、この怨霊が御先祖様」と、絵を指差した。



「子孫としては……ちょっと複雑だわ。先祖が怨霊って、ひどくない?」



そんな話を交わしながら見つめた、あの絵の世界をご紹介します。


夜の荒海を進む小舟に、義経と弁慶のシルエットが乗っている。海中にはぼんやりと怨霊の影が漂い、空には月と霊気が漂う幻想的な水彩画。
夜の荒海を進む小舟に、義経と弁慶のシルエット。海中にはぼんやりと怨霊の影が漂う。

都は遠く    

鬼は近く    

夜を超えれば  

何が待つ    



怨霊うごめく荒海に、船は進む


源義経という男は、栄光と裏切りの間を、まるで剣の刃を渡るかのように歩いてきた。

その華麗な戦いぶりは、敵にも味方にも畏怖と称賛を抱かせた。

だがその栄光は、やがて兄・頼朝の疑念を招き、義経は都を追われる身となる。



彼は今、忠実なる家臣・弁慶らと共に、大物浦の波間に立っている。



目指すは九州、彼らの行く先は、まだ見ぬ安息の地。

しかし、義経の行く手を阻むのは、かつて自らが滅ぼした平家の怨霊たちだった。壇ノ浦に沈んだ武将・平知盛をはじめ、憎悪に満ちた亡者たちが、荒れ狂う波とともに姿を現す。



波が吠える

剣が閃く

名を捨てても

影は消えず



彼らは生者の船を深い海の底へと引きずり込もうと、黒々とした怒りと怨念の渦を巻いて迫ってきた。

まるで、過去の罪が、亡霊となって義経を許さぬと叫んでいるかのようだ。

だが、義経は一歩も退かない。死を恐れない者に、怨霊の囁きは届かない。



風が裂ける

声が響く

弁慶の経文

海を鎮める



そのとき、船上でただ一人、異なる戦いを始めた男がいた。


弁慶である。

刀を捨て、経文を唱え、霊を鎮めようとする。彼は、武の人であると同時に、かつては僧でもあった。

怒りと憎しみが渦巻く海の上で、彼の声は静かに、ーーしかし確かに、響いた。

それは、人の業に抗う祈りの声。

光なき闇に差す、たったひとつの灯だった。



赤い怒り

青い怨み

渦を巻いて

なお沈まず


船上で経文を唱える弁慶の姿と、その背後で立ち向かう義経。海中から迫る平家の怨霊たちが荒波とともに浮かび上がる、水墨と水彩を融合した緊迫感ある一枚。
弁慶の祈りが響く中、怨霊たちが波間から迫る。刀よりも祈りが強くなる夜。

義経は黙って前を見据える。

背を預けた男の信仰と祈りを信じ、ただ進む。

それは人の強さと弱さが交錯する瞬間。剣では祓えぬものが、この世にはある。

弁慶の声は怨霊たちの怒りを鎮めるように海に溶け、波が静まる気配がした。


歴史とは、ただ勝敗の記録ではない。勝者も敗者も、果てしない運命に引き寄せられ、その末に過去となる。だが、きっとこの夜の出来事だけは、永遠に語り継がれることとなる。



刀より

祈りが強く


怨念より

信が深く



怨霊の影に怯えながらも、それでも人は進む。祈りを胸に、剣を手に、未来へと。

義経たちの船は、やがて闇の向こうへと消えていった。


どこまでも、波が闇を裂く音だけが、彼らの進む道を照らしていた。





🔍豊原国周と「摂州大物浦平家怨霊顕る図」



豊原国周(1835年~1900年)は、幕末から明治時代にかけて活躍した浮世絵師です。彼は特に、戦国の武者を描いた武者絵や、歌舞伎役者の姿を捉えた役者絵で知られています。


師匠は、力強くドラマチックな構図で名高い歌川国芳。国周もその影響を受けつつ、より大胆で、迫力のある描写を自らのスタイルとして確立していきました。


特に印象的なのは、船上で経文を唱える弁慶の姿です。激しい風と波にあらがいながら、怨霊を鎮めようとするその姿は、まさに信仰と勇気の象徴。緊迫した状況の中で、弁慶の声が夜の海に響き渡るかのように描かれています。


この作品では、国周の大胆な構図と、波や怨霊の動きの描写が際立っています。荒々しくうねる波、亡霊たちの不気味な表情、船上で踏ん張る武士たちの緊張感。そのどれもが、まるで目の前で物語が展開しているかのような迫力を持っています。


そして、この絵からは、若き国周が師・国芳の影響を色濃く受けていたことも読み取れます。特に、動と静の対比や、現実と異界が交錯する独特の空気感は、国芳譲りの緻密さと劇的な表現力の賜物と言えるでしょう。


生者と死者、信仰と怨念、静寂と激動——この一枚の中に、まさに“物語”が凝縮されています。国周の描くこの瞬間は、ただの絵ではなく、時代を超えて語り継がれる「日本の美意識」そのものです。

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