一振りの刀が語るもの 龍馬の愛刀
- Emi

- 2月14日
- 読了時間: 4分
更新日:10月25日
吉行の鉄が夢を斬り、吉国の刃が風を裂く。
康光の脇差は、歴史に光を刻む。
炉で鍛えられた鉄は、意志と祈りを帯びて刃となった。
その波紋の中に、時代が眠っている。
一振りの刀がつないだ物語。
その続きを知るたび、過去が、手の中で生きてくる。

高知で展示された、龍馬の愛刀
高知県立坂本龍馬記念館で、坂本龍馬の愛刀が展示されていた。
展示期間はそれなりにあったはずなのに、私がその情報を知ったのは終了10日前。
悔しい。間に合わなかった。
予定も合わず、行けずじまい。
そんな未練と刀への想いが、今回の記事のはじまりだ。
坂本龍馬と陸奥守吉行(むつのかみ・よしゆき)
坂本龍馬(1836–1867年)は、幕末の日本を駆け抜けた志士。
そして、その手に常にあったとされるのが、陸奥守吉行(むつのかみ よしゆき)という一振りの刀だった。
🗡️ 陸奥守吉行とは?
なぜ坂本龍馬は「陸奥守吉行」を選んだのか?
――体格・性格・時代背景から読み解く佩刀の理由
坂本龍馬といえば、自由を愛し、時代を変えようと奔走した、維新の風雲児。
そんな彼の傍らに常にあったのが、刀工・吉行による一振り――「陸奥守吉行(むつのかみ よしゆき)」です。
それでは、なぜ数ある名刀の中から、龍馬はこの刀を選んだのでしょうか?
① 大柄な体格にフィットした「実戦型の刀」
龍馬の身長は、**約174〜178cm(当時としては非常に大柄)ともいわれています。
長身の龍馬には、反りが控えめでまっすぐに近い直刃(すぐは)**の陸奥守吉行のような刀が、抜刀しやすく、扱いやすかった可能性が高いです。
また、「吉行」の刀は実戦向きの強靭な刃を持つことで知られており、見栄えではなく“命を守る”ための道具として選ばれたとも考えられます。
② 目立たぬ“無銘の美”を好んだ龍馬の気質
陸奥守吉行は、派手な装飾を持つ刀ではありません。
しかし、地鉄(じがね)の美しさ、波紋の静かな佇まいなど、刀好きにはたまらない“通好みの一振り”でもあります。
龍馬は、派手な装いよりも信念と実力を重んじる人物。
その内に秘めた熱さと、静かな覚悟を支える刀として、吉行の刀は彼にぴったりだったのかもしれません。
③ 実戦と理想のはざまで生きた“変革者”の剣
幕末は、刀が「武士の象徴」から「命を守る現実の道具」へと意味を変えていく時代でした。
龍馬は武士でありながら、新時代のビジョンを持ち、「刀ではなく話し合いで未来を変えるべきだ」とも語っていたとされます。
それでも、混乱の時代に身を置く彼にとって、最後の覚悟としての佩刀は必要だった。
その役割を担ったのが、陸奥守吉行だったのです。
🗡️ 陸奥守吉行――名に宿る由来と刀工の略歴
「陸奥守吉行(むつのかみ よしゆき)」——この名は、刀工の名と、その地位・由緒を合わせて名乗る“官位銘(かんいめい)”の形式です。
🔶「陸奥守」とは、陸奥国(今の東北地方)を治める“守(かみ)”=国司の称号。
実際にその官職に就いていたわけではなく、刀工としての格式や名誉を表す名乗りです。幕府や諸藩からの認可により名乗ることができたもので、吉行はその実力と評価をもって「陸奥守」を名乗ることが許された、由緒ある刀工だったことがうかがえます。
🔶「吉行」は刀工本人の名。
江戸時代後期、大坂(今の大阪市)の鍛冶橋(たんやばし)を拠点に活躍した刀工で、「吉行」名を継ぐ刀工は複数いますが、坂本龍馬の佩刀とされる陸奥守吉行は、二代・吉行の作と考えられています。
この二代・吉行は、実戦を見据えた実用性の高い刀を得意とし、同時に堅牢な地鉄と丁寧な刃文で高い評価を受けました。派手さよりも“信頼して使える刀”という評価が高く、志士たちの護身刀や佩刀としても人気がありました。
実際、坂本龍馬がこの刀を選んだことにも、飾りよりも本質を重んじる人柄が滲んでいるように思えます。
🕯️ 龍馬亡き後──刀が語る“その後”の物語
1867年11月15日、京都・近江屋にて、坂本龍馬は非業の死を遂げた。
そのとき、刀は鞘に収まったまま血に濡れたと言われている。
暗殺者の急襲。抜く間もなかったのだ。
だが、その刀——陸奥守吉行は、遺族や同志の手を渡りながらも、現代にまで伝えられた。
数多くの遺品が失われた中、彼の佩刀が残されたことは奇跡とも言える。
📍 陸奥守吉行はいまどこに?
現在、この刀は高知県立坂本龍馬記念館の所蔵品として知られています。
また、特別展などでは京都国立博物館などで一般公開されることもあります。
➡ 京都国立博物館
✍️ 結びに
一見、静かなたたずまいを持つ「陸奥守吉行」。
だがその刃には、時代の変革者の理想と覚悟が、確かに刻まれている。
龍馬がこの刀を選んだのは、偶然ではない。
それは彼の体格、信条、そして生き方そのものに寄り添う一振りだった。
刀は、ただの武器ではない。
それは、人の記憶と願いを映す「祈りの刃」なのかもしれない。




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