旧軍施設の黒いモヤと祖母の四十九日――“視える”私の話
- Emi

- 9月12日
- 読了時間: 4分
更新日:9月16日
“視える”という感覚は止められない?
“刀の声が聞こえる”異能探偵の話を書いていて、ふと思ったことがある。
例えば、人間以外の声やこの世のものじゃない声が「聞こえる」という能力は、集中力によってシャットアウトできる...かもしれない。
でも、“視える”は違うんじゃないか?
好むと好まざるとに関わらず、視界に飛び込んでくる。
そう。
“視える”は止められない気がする。
それなら、“一種の暴力的な視界からの圧力”ではないか?
などと、思ったわけです。
なぜって...。

“視える”とい感覚と向き合った日――祖母の四十九日
“霊感あるような気がする”と、確たる証拠もなく、なんとなく思っていた。一方で、完全に何かが視える訳じゃないから“気の所為かも”とも思っていた。
最初の出来事は、おばあちゃんが亡くなって、7日ごとにお寺へ四十九日の法要に通っていた時。お坊さんが読経する背後、焼香台の右上に、黒いモヤがあった。それは7日ごとに薄くなっていき、最後の日には完全に消えた。
そのことは誰にも話してなかったのだけど、帰りの車の中で、母がしんみりと呟いた。
「ばあちゃん、笑って手を振って歩いて行ったね」
あれ、もしかして・・・と、
「焼香台の右上?」
「そう」
あの黒いもやは、おばあちゃんだったのか、と不思議と納得した。
でもまだ、“身内だからそんなこともあるかも”くらいに思ってたんです。
●自衛隊時代に体験した黒い影
旧軍施設で感じた霊的存在の話
高校を卒業して、自衛隊に入隊した時のこと。
訓練で、旧軍施設に泊まったことがある。
着いたのは、夜。その日は寝るだけで、翌朝から実習が行われる。
だだっ広い演習場の中に、ぽつんと、その隊舎はあった。
横長い造りで、両端に階段がある。他の駐屯地から演習や訓練に来た人たちの宿泊施設に再利用されていて、1階は使っていない。2階のやたらと広いだけで何もない部屋に、錆びて、軋んだ古い2段ベットがたくさん並べてある。
私は、どうしても片側の階段だけが、墨を流したように真っ黒に滲んで視えていた。
部屋も、ところどころ黒い滲みが視える。それは、天井だったり、あるベッドの上だったり、壁際だったり。
実は、1階の封鎖してある部屋の廊下にも滲んだ黒いものが視えていた。
視える人の実体験と霊的考察
なんだろう?と、無意識にじっとみていたらしい。同期の1人がすっと私の隣に来て、細い声で言った。
「もしかして、視えてるの?」
「黒い滲んだモヤが見える。濃淡はそれぞれ違うけど」
私は、おばあちゃんのことを思い出して、あぁ、これもしかして… と、答えた。
指さすのも憚れて、場所を言っていくと、
「あぁ、視えなくて正解。それ、全部、旧日本軍の兵隊さんたちだよ」
と、なんでもない事のように言う。
「一回のあの部屋の廊下、多分医務室。あの前に、目から血が出た兵隊さんが座ってる。片足がないかな。あっちの階段は、絶対行かない方がいい。あれはヤバい。」
その時、自覚した。あぁ、あの見えている黒い滲みは霊的なものだ、って。
―― そして翌朝、
あんなに黒いもやだらけだった建物は、朝日の中で、ただの普通の古い建物のような顔をしていた。

“視える”感覚は、確かに存在する
霊の通り道と視える人の防御方法とは?
私は、自分よりも数倍視える彼女に、どうしても聞きたいことがあった。
朝食が終わった後、食器を片付けながら声をかける。
「うちらの隊舎の当直室、あの部屋って黒くて、怖いんだけど。あそこもやっぱり、何かあるよね?」
「あぁ、あそこは“通り道”なんよね」
またもや何でもないことのように、淡々と答えが返ってきた。
そして、対処法を教えてくれた。
「部屋の四隅に塩を置けばいいよ。私はいつもそうしてる」
私は二つ返事で、そのアドバイスに従う。
本当に、当時は切実な問題だったのだ。なにしろ、定期的に割り振られる当直、その期間は一週間もある。
その間、あの怖い部屋に1人で泊まらなきゃいけない。
――塩の効果?それはもう絶大でした!
それからは自分の勘がやばい!と感じる時は、なるべく近寄らないことにしたのでした。
霊が見える時の対処法とは?
世の中には、“見える人にしか見えない世界”が確かにある。
感覚を研ぎ澄ませば、見えないまでも“感じる”ことはできる。
それならば、もしかすると...パラレルワールドも、時限の狭間も、タイムスリープも本当に存在するのかもしれない。
私の同期も、小さい頃はいろいろな葛藤があったようです。
どちらにしても、むやみやたらに怖がらない。
視えるなら、視えることを静かに受け入れる。
その上で、危険だと感じたら近寄らない。
塩などで、対処する。
これが基本なんだと思います。
そんなことを思い出しながら、小説と現実の境界線を行き来するような感覚で、今回は不思議な話を書いてみました。
ふいに、こんな話を書来たくなったのも、―― もしかしたら、蒸し暑さが“なにか”を運んできたのかもしれません。



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