古墳の鍵穴に宿る物語:徳島の新発見から見えた弥生と三国志の交差点
- Emi

- 1月2日
- 読了時間: 5分
更新日:9月29日
いきなりすぎるやろう。
自分でも思った。
初めてお会いする考古学の先生に、
顔を合わせてものの5分で聞いた質問がコレ。
「古墳って、何が面白いんですか?」
失礼極まりない質問に怒られるどころか、この後、私と先生は大盛り上がりするのである。

■徳島県海陽町で前方後円墳発見 — 歴史を動かすニュース
そもそもなぜ古墳なのか。
徳島県の海陽町で前方後円墳が発見されたのだ。これは全国ニュースになったので知っている人もいるかもしれない。海陽町立博物館の館長をはじめ学芸員さんたちは、その対応で連日大慌てだ。だって、「歴史の教科書に記載されている事実が変わる」......かもしれない大発見である。
私も発見された古墳のことを教えてもらった。
古墳は作られた時代によって形が違う。今回見つかったのは、弥生時代から古墳時代へ移り変わる頃のえらい人のお墓で、大和朝廷の近しい人物にしか作れなかった特別なものなんだとか。うん、すごい事だというのはわかるよ?でも、「弥生時代や古墳へのロマン」がイメージできる人が、日本にどれほどいるのだろう?
その道のプロの人が生涯かけてハマっている弥生時代の面白さ。教えてくれるのなら、是非とも知りたい!
■弥生時代のイメージと現代人の誤解
私は先生に力説した。例えば、戦国時代や縄文時代は、割とイメージがしやすい。戦国武将をテーマにした小説やドラマは豊富にあるし、縄文時代は、土器や自然と共存した暮らし。1番幸せで理想的な時代とも言われていてる。それに、縄文土器や土偶は好き。外国でいうと、例えば古代エジプトは有名な少女漫画「王家の紋章』がある。
でも、弥生時代は「稲作が始まり、集落ができて、国ができた」というような、教科書知識から大きく抜け出せない。探せば生活や文化がわかる本はあるけど、私の知りたいのはソコじゃない。
■三国志と弥生人 — 外交と脅威が生んだ国づくり
その答えは思いもよらぬものでした。
「三国志って知ってる?」から始まった先生の話。
弥生時代はスケールが大きかった。
まず、弥生人が見ていた世界観は、「自分たちVS大陸」なのだそうだ。決して、稲作の伝来で出来た集落同士で小競り合いをしているだけの時代ではない。
主となるのは外交政策。自分の『弥生時代のイメージ』と、『外交』という言葉がうまく結びつかない。でも、大陸から侵略されるかもしれない脅威に、みんなで乗り越えよう!と一致団結した時代なのだそうだ。
なぜこんなに大陸が脅威だったのか。
それは向こうは三国志の時代だから。そう、中国の大陸で曹操や劉備、孫権が勢力を争ったあの時代です。九州なんて、韓国や大陸はすぐ近く。そんなすぐ近くで、曹操のような巨大な勢力がどんどん領地を広げているわけです。これは怖い。その噂が日本列島に届くと、人々はこう思ったに違いない。
「え、ちょっとヤバくない?」
「とりあえずみんなでまとまろう。 国を作って、力を合わせなきゃ!」
三国志VS弥生人
まともに戦えば、いったいどうなったのか?!こうして、日本列島で初めて「国」という意識が芽生え、外からの脅威に対抗するために、まとまるようになったそうです。そして、その中で代表として選ばれたのが卑弥呼であり、古墳時代が始まり、大和朝廷が生まれるきっかけとなったのです。

■前方後円墳は仲間の証?ヤマト政権のシンボル
じゃぁ古墳はなんなのか。
わかりやすく言うと、現代のロゴマークやチームのステッカーみたいな「仲間の証」みたいなモノ。「俺たちの仲間になる? じゃあこの特別な形の古墳を作らせてあげるよ!」と、まぁこんな感じで集落や国同士のつながりを示すシンボルのような役割を果たしてたようです。
今回発見された海陽町の前方後円墳も『俺たちもこの勢力の一部だ!』といった縄張りを表すものだとすると、今まで考えられていた当時の外交やパワーバランスも変わってくるわけです。
そして、ここで面白いポイントがもう一つ生まれる。それは集落ごとの決断。
仲間になるかならないか、その決断で集落の運命が決まってくる。どの集落がどの決断をしてどうなったのか。それで言うと、弥生時代の海陽町は、大きな勢力の仲間になることを選んだということになります。そう聞くと、弥生時代とは稲作や土器作ってるだけとは簡単に言えない、激動の時代だとわかります。
■考古学のロマン — 弥生人への感謝と新しい趣味への扉
弥生時代のイメージがガラリと変わった、今回の出会い。私はもう大興奮で先生の話を聞きいていた。とにかく、これが言いたい!
「頑張ってくれてありがとう! 弥生人⭐!」
あなた達が頑張ってくれなければ、紫式部は源氏物語を書いていない。徳川家康は江戸時代を作ってない。今とは全く違う日本になっていたのかもしれない。こうして、新たな出会いと共に、私は考古学の沼に足を踏み入れるのも面白そうだなぁと思ったのでした。
後日談:先生とは、そう簡単に会う事もないので、とりあえず、古墳や縄文土器のことを発信している人をXでフォローしたり、考古館へ行ったりしています。興味が持てる幅が広がって、単純に楽しい。
注意:イラストはあくまでもイメージです



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