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にゃー大陸3帖:龍のまぼろし

  • 執筆者の写真: Emi
    Emi
  • 6月14日
  • 読了時間: 3分

更新日:9月15日


夢見の記憶帖 ― にゃー大陸詩抄


にゃー大陸という幻の王国を舞台に、夢と記憶を紡ぐ物語のはじまり。

旅の商人コンギツと、夢を継ぐ少年ニャルキオ。

夢見の詩と物語を、そっとお届けします。

ニャー大陸表紙
ニャルキオ&こんぎつ

空を裂く

波を飲む

それでも

ただの紙の上の



どこにもいない

ここにいるようで

どこにもいない

龍はただの雲かもしれない

雲はただの夢かもしれない


雲龍。龍のような雲

それは、墨のような空だった。


そのなかに、にじむように“龍”のかたちが現れる。


ニャルキオはそれを見つけた。

でも、見ているそばから輪郭はほどけていく。

「龍ってさ、いたんだと思うか?」

と、コンギツが雲の向こうを指さす。


ニャルキオに問いかけたのか、空に問うたのか。コンギツは続ける。

「いたかもしれないし、いなかったかもしれない。でも、“いたと夢に見る”ことは、確かなんだ」

だからこそ、絵になり、詩になり、

こうして夢の中で“また、いる”のだと。



〔注記〕


この詩は、「雲龍図屏風」より採られた記憶断片を元にしています。

にゃー大陸では“龍”は風と夢の象徴とされ、

ときに祈りの姿をとって絵の中を泳いだといいます。



巨大な龍が、墨の滲みと余白のあいだから現れ、空を裂くように描かれる。

その姿は、絵でありながら、夢の記憶のように私たちの心に残る。


雲龍図風のイラスト


海北友松『雲龍図』


安土桃山時代の絵師・海北友松(かいほう ゆうしょう)が描いた『雲龍図』は、墨だけで描かれた水墨画の傑作。

屏風絵としても知られ、荒々しい筆致の中に、龍が空へと昇るさまが描かれています。


この龍は、あたかも雲から生まれたかのように、形を変えながら姿を現し、

けれど、すぐにまた霞のなかへ消えていく。


その儚さが、まるで「いたかもしれないし、いなかったかもしれない」夢の龍のようです。



俵屋宗達『雲龍図屏風』


一方、俵屋宗達が手がけた『雲龍図屏風』は、友松のそれとまた違う呼吸をしています。


宗達の筆は、雲や波を包み込むように柔らかで、どこか幻想的。

こちらも墨だけの世界ですが、余白が龍のうねりを誘い、絵全体が深い静寂をたたえています。


この屏風絵には、物語や言葉を超えた世界があります。

「いたと夢に見る」ことは、確かに息づいているのです。


***


海北友松と俵屋宗達、それぞれの『雲龍図』は、龍という幻を紙の上に呼び寄せ、見る人の胸に、まだ見ぬ物語を残します。


それは単なる絵画ではなく、詩のような、あるいは祈りのような存在。


「空を裂く/波を飲む」という短い言葉に潜む世界が、このふたつの『雲龍図』から、確かに立ち上ってくるように感じませんか?




関連サイト



  • フリーア美術館:Sōtatsu: Making Waves 展覧会ページ アメリカ・ワシントンD.C.のフリーア美術館で開催された俵屋宗達の展覧会「Sōtatsu: Making Waves」に関する情報が掲載されています。https://asia-archive.si.edu/exhibition/catalogue/

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