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ダビッド・ベルとは?パルクールの歴史

  • 執筆者の写真: Emi
    Emi
  • 11月27日
  • 読了時間: 3分



🌍 跳ぶ者たちのはじまり



──ダビッド・ベルとパルクールの物語


「ここを超える意味って、あると思う?」

そんな問いが空に溶けていく。


誰も通らない道を、誰も登らない壁を、

少年たちは次々に超えていった。


彼らの名前は、トレーサー

そして、そのはじまりにいたのが——ダビッド・ベルという名の、ひとりの青年だった。



若き日のダビッド・ベルが、静かな街角で建物の屋根に立ち、遠くを見つめている。背景には古い街並みと曇り空。彼の足元には、走り出した軌跡のように並ぶ石畳が描かれている。絵本風、デジタル水彩調。

「走ることは、ただ前に進むことじゃない──自分を知り、世界を感じることだ。」

若きダビッド・ベルが見つめたのは、まだ誰も知らない“道”のはじまりだった。





🏃‍♂️ ひとりの少年が、壁の向こうを見た




ダビッド・ベル。

1973年、フランス北部・フカンブーで生まれた彼は、幼いころから跳び、登り、走っていた。


父は、軍隊で「物理的能力の極限」を追求した男だった。


ベトナム戦争のジャングルで身につけた「効率的な動き」の訓練法——それが、のちにパルクールの礎となる「méthode naturelle(ナチュラルメソッド)」だ。


ダビッドは父の訓練を受けながら、自分の街を「遊び場」に変えていく。


階段も塀も、支柱もビルの縁も、

すべてが「通り道」になり、身体の延長となっていった。





🔥 火を灯した者、BANLIEUE 13(バンリュー13)



やがて彼は仲間を集め、ひとつのチームをつくる。

その名も「ヤマカシ(Yamakasi)」——ザイール語で「強い精神・強い身体」を意味する言葉。


彼らは公園やビルの屋上、橋の上などで練習を重ね、やがて注目を集め始める。


映画『YAMAKASI』(2001)や『BANLIEUE 13(アルティメット)』(2004)は、

その身体能力と自由な動きを一気に世界へと広めた。


だが、ダビッドは単なるスタントマンではなかった。


彼にとってパルクールは、

「見せるための動き」ではなく、「生きるための動き」

だった。





🧭 パルクールとは、“目的地のある冒険”



パルクールという言葉は、「通り抜ける」「走り抜ける」という意味を持つ。

フェンスを跳び越え、壁を登り、支柱をすり抜け、

最短かつもっとも効率的な動きで目的地を目指す。


でも、それはただの技術じゃない。

「恐れを超える勇気」や、「一歩を踏み出す意志」——

つまり、“生きる姿勢”そのものが、パルクールの核にある。



ダビッドはこう言った。

「壁を超えるかどうかは、技術より“意志”にある。」




🌱 そして、わたしたちの街にも



今、香川県の三豊のフィールドにも、

跳び、走り、笑う子どもたちの姿がある。


フェンスの向こうにあるのは、誰かの「はじめて」かもしれない。

ジャンプの先にあるのは、自信かもしれない。


ダビッド・ベルが見た“壁の向こう側”は、

意外と、わたしたちの日常の中にあるのかもしれない。





🐾 あそびフェスは、はじまりの場所



あそびフェスは、都市型スポーツを遊びの延長として体験できるイベントです。

その原点には、「ただ跳ぶだけじゃない」パルクールの精神が宿っています。


だからこそ、あなたにも、見てほしい。

この“跳ぶ文化”が生まれた背景と、その熱を。


次にジャンプするのは、もしかしたら、あなたかもしれないから。





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